DIVING

オープンウォーターへの道

初潜降、水中へ

101_0147.JPGこれは息子のフィンキック。血筋です

ほめられるとガゼンやる気になるのは子供も大人もいっしょ。

 さきほどの波打ち際が、今は遠くに見える。ボートに乗せられ、底地沖に停泊してあるクルーザーへと連れてこられたひげは、なんだか妙にやる気になっていた。自分の中の糸も何本か切れたし、何よりさっき師匠に実は初めてほめられた。「(他はダメだが)フィンキックはうまい」人間なにか一つは取り柄があるもんだ。ひげは、この取り柄にすがって生きよう。これからはフィンキック一筋だ。何があってもフィンキック。フィンキック命。

 背負わされたタンクは8リットルのアルミ製だった。ズッシリと重い。箸より重い物を持ったことがなかったのか、ひげにとっては驚異の重さだ。それを背負いマスクを付けフィンを履き、他にレギュレーターだのなんだのかんだの、とかく装備が多いのが売りのダイビングだ。なんせ、空気のないところにわざわざ行く命がけのスポーツなので。おまけに4キロの石(ウェイト)まで腰につけられる。総重量はいったい何キロになるのか。そんなものを着て、海にドボンと入ったりして、いきなり水底にたたきつけられはしないのか・・・。そんなことあるはずない。しかし、とにかく重いのだ。器材、そしてタンクというものは。でもそれは、もちろん陸での話で、水の中に入ってしまえば浮力でプカプカなので逆に潜降(水中に入っていくこと)が初心者にはかえってむずかしい。BCジャケットから空気を全部抜いたとしても、なかなか思うように沈んでくれない。

 「あいたたたたたたたっ」
ひげには師匠がそう叫んでいるように見えた。それはなぜか。

 8リットルのタンクのバルブを開け、さあ、ひげはとうとうこの大海原へ・・・。とかなんとか思うヒマなく海にたたき出された。バシャン。ガボガボガボー。

 「
グォ〜ップ」
ひげ大海原での第一声だ。もちろん心の中の声なき声だ。たたき出された海原にただ一人ただよう孤独感。余裕などない。とにかく潜降ロープにたどりつかねば。

 「グォップ、グォッープ」
容赦なく海水はひげにせまる。無知で無謀で、ただただこの大きなものに翻弄されてボロボロになっている自分がここにいるだけ。

 師匠の親指がクイクイと下を指す。潜降するよ、の合図だ。
師匠に伴われ、ひげは未知なる海への初潜降を開始した。ブシュー。BCから空気が抜けていく。この一歩を永遠に心に刻んでおこう。これは、人類の偉大な一歩だ・・・・・

「あいたたたたたたたたーっ」

 ひげはゆっくり目を開けた。気付くと師匠の小指を力いっぱい、にぎっていた。めいっぱい反った小指。まだ慣れないマスクを介してみる師匠の顔は痛さによがみ、声なき声が聞こえていた。すみません。やはり、なかなか沈めないものだ。ものすごく時間がたったような気がしたし、もう水底かと思ったがとんでもない。とっくにBCから空気は抜いたのに、頭は水面見え隠れ。師匠が親指を再度下に向ける。
クイクイックイクイッ
ジタバタと泳いだところで、平行移動。水面を泳いだところで空気のムダ。小指を握られたまま、少し下の方で親指がひげを呼び続けていた。

 「どうよこの景色!魚だらけ!そして、サンゴだらけ!どこまでも水の中は青く、明るい。ここは水深5メートルの世界!!」


なんてことを今頃は思っているはずだったが、そんな余裕はこれっぽっちもなかった。結局、初潜降は師匠に引きずりおろしていただいた。それに、はっきりいってここから先はあまり記憶がない。それはなぜか。必死だったから。記憶は断片的ではあるが、もう少し話をすすめていこうと思う。


水深5メートルのところで師匠が「ここにとまって」と言った。
(ここでいうところの”言う”とはもちろん水中での意思疎通の方法をいくつか用いているわけで、しゃべっているのではありません。ハンドシグナルやアイコンタクトなどを使っています。)

 なんとか水底まで潜降できたひげであったが、水底にフィンがついてまもなく、フッと我にもどった。それまでは無我夢中の必死だった。師匠の指もあわや骨折だ。そして・・・意識は焦点を合わすようにあることに集中。

それは呼吸。

 陸上で呼吸していることをいちいち意識しながら暮らしているだろうか。意識するとすれば、臭い物汚いものに遭遇してしまったときなどだろうが、めったに意識することなく日々暮らしているはずだ。なのに。とたんに今まで味わったことのない恐怖感がひげを襲う。そしてその恐怖感はたちまち”意識せずとも息できる”という自然の呼吸パターンを奪う。

 「すってーはいてーすってーはいてー」

これだけのことが意識と不安によってできなくなるとは。今意識の中にあるのは”この空気今はひげの命綱”なのだ。吸って吸ってすいまくる。吐き出すことも忘れて。結果、過呼吸状態に陥り、呼吸はどんどん浅くなる。喉は渇き、口の中はカラカラ・・・

「(ぐるじぃ〜ぐるじぃぃ〜〜)」

 マウスピースを必死におさえ、離すもんかこの空気と思えば思うほど、息は浅く、そしてぐるじぐなる。ひげは思う。掟を破って緊急浮上を試みるか。あの水面に出さえすればいくらでも酸素が待っている。だれにも文句を言われず、制約もなく、吸いほうだいの大判振る舞い・・・・

師匠がおもむろに、”タカラのせんせい”を取り出した。

 陸上では当たり前に存在する物が、いきなり水中にあったりすると驚くもんだ。しかしインストラクターの間では必需品のこの品。”タカラのせんせい”は水中では”ダイバーせんせい”と名を変え活躍していたのだった。

BiND.jpg息子2才時における陸での’タカラのせんせい’の通常の使い方

 師匠はそれを腰に下げ、まだまだつたないひげの伝達方法をこれで補おうという寸法だ。本当にありがたい話だ。師匠は”ダイバーせんせい”そのものに、自分でひもをつけぶら下げた専用ペンをフワリと握った(水中だから)。そして、何かを書き始めた。が、ひげはそれを横目に必死だった。浅い呼吸と浮上願望に耐えていた。マウスピースをおさえる手にもますます力が入る。視界はせまくなり、ひげのフィンは今にも水底を蹴り上げそうだ。

(ぐるじぃぃ〜だじげでぇ〜〜〜〜)
そんな極限状態の中でひげは見た。師匠の”ダイバーせんせい”を。

そこには、はっきりと「スネ夫」が描かれていた

「スネ夫」。ジャイアンの子分であり、のび太をいじめるあの金持ち骨川家の一人息子。それをこの水深5メートルの世界でわざわざ、熱帯魚や珊瑚やウミウシよりも先に見るとは。師匠は「スネ夫」をググッと近づけてひげに見せると、それをサッと消し、今度は「ハットリ君」を描いて見せてくれた。

 ひげの呼吸はかなり安定していた。浮上願望も今は消え、”息を吐ききる”こともおぼえた。師匠が自らの口のあたりで”グーパー”を何度もした。これこそが「息吐いて」のハンドシグナルであることに気付いたのだ。
ひげの落ち着きを見計らい、師匠、次のステージへと進むアクションをおこす。両手が行く手を指し示す。それはあたかもひげの未来を指し示す、荒野の矢印のようだ。フィンを軽く蹴る。フワリと体が浮かぶ。

 こうして初めてひげは自らの足で水を蹴り、水深5メートルの世界を進んだのであった。

口の中がカラカラということ
タンクの中の空気を吸っていると、口の中が乾いてきます。もっといくと喉の奥がひっつく感じに。このとき自然と口の中に溜めたツバを飲んだり、レギュレーターの隙間から海水をちょっと飲むという人もいます。

呼吸が浅いということ
タンクの空気を吸うときに呼吸が浅いと、気道の中を息がいったりきたりしているだけなので、苦しくなってきたら「はあぁぁ〜」とまず息を出し切って、それから呼吸をするとじきに安定します。そうです。水中ではつねに深呼吸です。